日技が正式に「大臣告示」が形骸化されたと表明して以来、より一層歯科技工料のダンピング競争が激化し、決められた国の制度の下、まともにそれを守り、法律に基づいて業を成している歯科技工士の生活は困窮を極めるに至り、日技代議員会でも再三にわたりその解決の糸口を解きほぐしていただくよう要請、要望を展開してきた。
しかし、歯科医療現場は一向に変わることなく、生活苦と制度の施行の狭間にあえぎ、
会員に自殺者まで出てしまう等、他人事とは思えない事態が連続して惹起された。
私たちはこの看過できない事態は、どこに原因があり、国はどんな理由で「大臣告示」
を官報で公布したのか、「どうもおかしい」と思う歯科技工士が集い、2002年1月26日、「隗(カイ)より始めよ」の『隗』を旗印に「国民と歯科技工士の権利を守る会」を発足し、可能な限りの学習会や、専門家をよんで研修・講習会等を開催しながら、真実の追究を推進すると共に運動を展開してきた。その間、行政、政治家とも再三折衝を重ねた。
そんな折、ある「仲介ラボ」と称する歯科技工士が、「海外委託を厚生労働省が認めた」というインターネットで自慢げに書き込みしているものを手にし、仲間の二人が厚生労働省歯科保健課に事実を質そうと訪問した。(2003年5月)幸いそこには課長、課長補佐、技官とそろっており一時間ほど会見することができた。
そこでのやり取りは2007・11・1付け日刊スポーツの「2007年の風景」(http://soshougikoushi2007.seesaa.net/article/79481454.html)で記事として掲載されている。
その日から『隗』は、「大臣告示」の時と「行政がらみで図式が酷似している」ことで、
「まず、海外委託を解決しよう」ということになり、新たな学習を始め、運動を展開した。
それは、行政がどのような指導・処分の権限をもってしても、歯科技工士法である現行法17条・18条に完全に違反している事実は免れないという自信があったからである。
『隗』の精神は、「気がついた時が出発点」であり、その意識と行動は仲間のいる練馬支部から、西部ブロックも決起し、2004年7月には(社)東京都歯科技工士会に「遵法・歯科技工行為の海外委託問題対策本部」の設置を見、『隗』からは二人対策員に加わった。
法律専門家二人の弁護士と契約提携し、本格的対策を講じ、再三東京都衛生局並びに地域保健所・日技等を訪問の上相談した。2005年3月11日には日技常務の仲介を経て、対策員全員と弁護士で厚生労働省歯科保健課に「申し入れ書」を携え訪問したが、即答は得られず、会見し書類を提出しただけで、早期回答を熱望して帰らざるを得なかった。
厚労省の回答待ちも四ヶ月過ぎた7月、ある在京仲介業者の目に余る宣伝行為は過激になり、都技の代位議員会総会で「即刻告発すべし」という決議に従って、7月中旬、警視庁に対し、「刑事告発」した。しかし、「厚労省の正式見解がなければ正式に受理できない」との対応で、一応一次預かりとしてもらい置いてきた。
対策本部では当日から対策会議を頻繁に開催し、文書も練り直し、多角的渉外活動に
着手しようとしていた矢先、2005・9・8厚労省から例の「17年通達」が発出された。
日技の解説によると、「あれは歯科医師に対してのもので、技工士は関わらないように」
であった。
おかしいと思っても抵抗できないはずである。この「通達」を出すにあたって日歯と
厚労省そして日技理事会等で事前協議をしていたことがのちに判明した。
誰一人この不可解な不合理を理事会はおろか、代議員会で問題にしなかった罪は重い。
そして都技執行部は、一般会員から推薦を受け、献身的、積極的に貢献してきた二人の対策本部員に一言の断りや相談もないばかりか、代議員会で承認した身分をも省みず、理事会決定で「対策本部は10月30日で解散する」と一方的に宣告したのである。
言語道断。理由は、「予算がない・日技がやると言っている・後は執行部三役でやる」
であった。
いずれにしても弁護士には多額の着手金を支払っており、都技から依頼されている弁護士に相談するわけにも行かず、組織でできない事を個人的に出来ないものか、翌日から、あきらめずに遂行できる手立てを探り弁護士探しからはじめる事になる。
八人目の「新宿法律事務所」にたどり着いたときは、砂漠にオアシスを見つけた思いだった。これまでの事情を洗いざらい打ち明け、何度目かで川上先生から
「一緒にやりましょう」という返事を貰った時はこの世に神様はいるものだと正直感動した。(2006年5月)
それから一年『隗』での学習と練馬支部に対する直訴である。その頃色々な事情もあり
何度となく危ない時期はあったものの、あきらめず当方の熱意と信念を説き続け、結果
練馬支部が着手金の大部分を拠出していただく事になった。足りない分は『隗』の方で
出すという事で、従来からの行政訴訟も含んだ「民事」で訴訟を提起することに決した。
この時点で分り難いということで、「訴訟を起こして歯科技工士を守る会」とし、『隗』の
時と構成メンバーは一緒ではあるが、こちらで訴訟専門に戦って行く事を決めた。
(2007年2月)
そして原告も80名となり、2007年6月22日午後、訴状を東京地方裁判所民事部に提起し正式受理された。
ここで絶大絶後どう感謝したものか迷うほどのショックと感動が目の前に展開されたのである。まだカンパも微小な時期、訴状提出時の印紙代に苦悩している様子を見て、何も言わず44万円をポンと出して頂いた方がいた。
感謝の念に絶えない。
人の心の奥義、真髄を教えられた気がした。
6月23日、訴訟提起の翌日、「歯科技工の海外委託問題訴訟を支援する会」を発足させ今日に至り、2月28日は第4回公判を迎えるまでの進捗状況に心から感謝する。
底流には『隗』の鮮血が脈々と流れうねっていることを信じつつ。
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